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さらっと読めて、何か新しい視点を提供出来て、普段の生活に活かせたりしてもらえれば、何よりです。
最近、医療制度について、いろいろと調べてて、現状と今後の方向性について、アップデートしてるんですけど、私が現役MRとして、医療に関わっていた時から、さらに進化してきてることを実感しています。
また、逆に現場がまだまだついて行っていないことも。
今どきは、こんな状況なんだーと感心することが多い。
やはり、医療となると少子高齢化の進展による、医療費の増大をいかに抑えるか・・・
これに尽きるといっても過言ではありません。
まさに、地域の医療の受け皿を病院、療養施設を利用することから、いかに、在宅で介護と医療を可能にしていけるかにかかっているようです。
で・・・
ここで、何も制度の現状と課題を解説するのではなく、
むしろ、直接当事者として、実際に親の介護をやり終えた経験からお伝えしたいと思います。
もし、あなたが、いずれ介護する立場になるとして、
どんな、瞬間がそろそろかなあ~
と実感し、覚悟を決めるタイミングなのでしょうか?
そんな、実感をした経験をお伝えしたいと思います。
今になって思えば、その時、自分に何か(いわゆるシステム)が語りかけていた気がするのです。
だから、そのメッセージを受け取るアンテナを立てていてほしいと思っていて。
その時、受け取ったことで、母親が家で一人転倒したときに、ひょっとして・・・??
と、実家に寄ってみて事なきを得た、ということにつながっている気がするのです。
あくまで、第六感、感覚、センスの話なので、うまく、伝えられるか、ちょっと、自信が無いのですが、あえて、お伝えしてみたいと思います。
それは、まだ母が健在なころ、母と家からちょっと離れた駅で落ち合って、人との打ち合わせに行った時のことです。
その駅までは、自転車で20分くらいかかるのですが、得意げにまだ自転車にも乗れるぞ!
本人は、得意げに乗ってきているのですが、私はその姿を駅前で見ていて、内心、とても穏やかな気持ちになれませんでした。
「本当に大丈夫なの?」
そんな、気持ちが湧いてきました。
そして、一緒に電車に乗って目的地に向かっていったのです。
平日の午後の下りの私鉄線、乗客はまばら、のどかな郊外に向かう各駅停車の電車に乗って二人で座ります。
「本当にもう・・・!無理して自転車なんか乗らないようにしないと・・・!転んだらどうすんの!」
いつも通りの説教めいた話を母にしていたのです。
そんなときに・・・、
ふぅ~と、今まで考えもしなかった不安な気持ちがよぎったのです。
「もしも、一人暮らしの中で、転倒したり、父親のように脳卒中なった時に、はたして私はこの人を守ることが出来るのだろうか?」
「ひょっとして、気づいたときには、手遅れなんてことになったらどうしよう。。。」
電車は、急行の通過をホームで待ち受け、静けさが漂っていて・・・
その静けさが余計に、その気持ちに私をとどまり続けさせ、何か熱いものがこみあげてきたのです。
まるで、何かが私を捕らえるように・・・
まばらな車両とはいえ、周りには初老のおじさんたちが、しずかに座っていて、こちらの会話がやけに停車した車両の中に響き渡ります。
私は、そのこみあげるものに対処するのが、精一杯になったのです。
人前で突然・・・、取り乱してはならないと思えば思うほど、さらに不安は募ります。
母は、そんな私の状況から何かを察したのか、ただ、私の中で起きている風情をみながら、穏やかに座っています。
わずかながら、微笑みすらたたえています。
すべてを悟るような姿を見て、なんとも言えず、そんな母がとても愛おしく思えたのです。
けっして、そんなことには、させたくない・・・。そんな気持ちが募ってきます。
「まあ・・・、何とかするよ。」
やっと、出てきた私の言葉がそれでした。
私は、一緒には住まないと決めていました。それはそれで覚悟の上です。
その中で、とにかくベストを尽くそうと・・・
でも、きっと、そんなことが起こりうるんだ。
あらためて、それを全身で感じ取り、不安に戦いたのです。
そして、やはり、あれ以上の言葉は、かけられなかったのです・・・
その後、3年くらいたったでしょうか?
日に日に衰えを見せていく母がいました。
胃がん全摘後、5年間再発せずに、元気でいたものの、5年間もったことで安心したのか、張り詰めていた気持ちが一気にきれ、思うように日々を過ごせなくなっていたのです。
毎週末、実家に行き世話をして、その間は介護ヘルパーの方に来てもらう日々。
そういった体制を作るだけでも大変な労力でした。
そして、朝晩、必ず電話をして、ちゃんと食べているか、薬を飲んでいるか確認するのがルーチンになっていたのです。
でも、母は電話に出るまで動くのもおっくうになっていたので、出ないで切るときもよくあったのです。
とある、10月の雨がしとしとと降る肌寒い夜、会社を出た私は、駅まで歩く傘の下、電話をかけます。
5、6回掛け直すも、全く出る気配がありません。
また、いつもの通り、長トイレに行っているんだろう。とも、思いましたが、何か嫌な予感がしたのです。
そして、家とは全く逆方向の実家に足を運んでみると・・・
台所で、目の周りに青あざつくって、倒れていたのです。
意識はあって、私を呼ぶのですが、右肩を強く打ちつけ、自力で起き上れ無くなっていたのです。
あの寒い雨の夜、「たぶん、元気だろう!」と実家に行かなかったら、どんなことになっていたか・・・
今思ってもゾッとします。
そして、やはり、あの時、あの電車の中で自分が何とかしなくては!
と覚悟した自分がいたから、実家に行くことにしたんだと今でも確信しています。
誰しも、経験できることではない、親の介護。
私は、その当時、本当に大変で辛かったけれど、無事に見送ることが出来たこと、そして、あの電車の中で味わったような、心と心のやり取りを母親と出来たことは、本当に幸せなことだったと今は思っています。
そして、あのガンコで一本気な母親が、衰えていく日々の中で、日に日に穏やかな仏の顔になっていき、うしろ髪ひく思いで、実家を後にする私にさえ、すべてを受け入れて、「ありがとう!」といってハグしあった日々は、甘美な体験であったとさえ思えてなりません。
働く世代として気持ち的にも、時間と労力的にも、なかなか、受け入れることが出来ない親の介護。
でも、きっと、その時が来たら、あなたにも、素直に受け入れる瞬間が訪れると思います。
そのメッセージ、キャッチしたら、しっかりと受け止めてね!
これも、いつかは・・・と、書きとめておきたかった大切な体験です。
少しでも参考になれば、うれしいです。
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