2015年1月20日火曜日

親の介護を覚悟する瞬間に・・・

ブログを書いていて、たまに会う友達から読んでますよ!って言われるととてもうれしいですね。

いいねって押していなくても、読んでいただけるだけで感謝です。


さらっと読めて、何か新しい視点を提供出来て、普段の生活に活かせたりしてもらえれば、何よりです。


最近、医療制度について、いろいろと調べてて、現状と今後の方向性について、アップデートしてるんですけど、私が現役MRとして、医療に関わっていた時から、さらに進化してきてることを実感しています。

また、逆に現場がまだまだついて行っていないことも。

今どきは、こんな状況なんだーと感心することが多い。


やはり、医療となると少子高齢化の進展による、医療費の増大をいかに抑えるか・・・

これに尽きるといっても過言ではありません。

まさに、地域の医療の受け皿を病院、療養施設を利用することから、いかに、在宅で介護と医療を可能にしていけるかにかかっているようです。


で・・・

ここで、何も制度の現状と課題を解説するのではなく、

むしろ、直接当事者として、実際に親の介護をやり終えた経験からお伝えしたいと思います。


もし、あなたが、いずれ介護する立場になるとして、

どんな、瞬間がそろそろかなあ~

と実感し、覚悟を決めるタイミングなのでしょうか?


そんな、実感をした経験をお伝えしたいと思います。

今になって思えば、その時、自分に何か(いわゆるシステム)が語りかけていた気がするのです。

だから、そのメッセージを受け取るアンテナを立てていてほしいと思っていて。


その時、受け取ったことで、母親が家で一人転倒したときに、ひょっとして・・・??

と、実家に寄ってみて事なきを得た、ということにつながっている気がするのです。


あくまで、第六感、感覚、センスの話なので、うまく、伝えられるか、ちょっと、自信が無いのですが、あえて、お伝えしてみたいと思います。


それは、まだ母が健在なころ、母と家からちょっと離れた駅で落ち合って、人との打ち合わせに行った時のことです。

その駅までは、自転車で20分くらいかかるのですが、得意げにまだ自転車にも乗れるぞ!

と元気そうに颯爽とやって来たのです。

本人は、得意げに乗ってきているのですが、私はその姿を駅前で見ていて、内心、とても穏やかな気持ちになれませんでした。


「本当に大丈夫なの?」


そんな、気持ちが湧いてきました。


そして、一緒に電車に乗って目的地に向かっていったのです。

平日の午後の下りの私鉄線、乗客はまばら、のどかな郊外に向かう各駅停車の電車に乗って二人で座ります。

「本当にもう・・・!無理して自転車なんか乗らないようにしないと・・・!転んだらどうすんの!」

いつも通りの説教めいた話を母にしていたのです。


そんなときに・・・、


ふぅ~と、今まで考えもしなかった不安な気持ちがよぎったのです。


「もしも、一人暮らしの中で、転倒したり、父親のように脳卒中なった時に、はたして私はこの人を守ることが出来るのだろうか?」


「ひょっとして、気づいたときには、手遅れなんてことになったらどうしよう。。。」


電車は、急行の通過をホームで待ち受け、静けさが漂っていて・・・

その静けさが余計に、その気持ちに私をとどまり続けさせ、何か熱いものがこみあげてきたのです。


まるで、何かが私を捕らえるように・・・


まばらな車両とはいえ、周りには初老のおじさんたちが、しずかに座っていて、こちらの会話がやけに停車した車両の中に響き渡ります。

私は、そのこみあげるものに対処するのが、精一杯になったのです。

人前で突然・・・、取り乱してはならないと思えば思うほど、さらに不安は募ります。



母は、そんな私の状況から何かを察したのか、ただ、私の中で起きている風情をみながら、穏やかに座っています。

わずかながら、微笑みすらたたえています。


すべてを悟るような姿を見て、なんとも言えず、そんな母がとても愛おしく思えたのです。

けっして、そんなことには、させたくない・・・。そんな気持ちが募ってきます。



「まあ・・・、何とかするよ。」


やっと、出てきた私の言葉がそれでした。


私は、一緒には住まないと決めていました。それはそれで覚悟の上です。


その中で、とにかくベストを尽くそうと・・・


でも、きっと、そんなことが起こりうるんだ。


あらためて、それを全身で感じ取り、不安に戦いたのです。



そして、やはり、あれ以上の言葉は、かけられなかったのです・・・




その後、3年くらいたったでしょうか?


日に日に衰えを見せていく母がいました。


胃がん全摘後、5年間再発せずに、元気でいたものの、5年間もったことで安心したのか、張り詰めていた気持ちが一気にきれ、思うように日々を過ごせなくなっていたのです。

毎週末、実家に行き世話をして、その間は介護ヘルパーの方に来てもらう日々。

そういった体制を作るだけでも大変な労力でした。

そして、朝晩、必ず電話をして、ちゃんと食べているか、薬を飲んでいるか確認するのがルーチンになっていたのです。

でも、母は電話に出るまで動くのもおっくうになっていたので、出ないで切るときもよくあったのです。


とある、10月の雨がしとしとと降る肌寒い夜、会社を出た私は、駅まで歩く傘の下、電話をかけます。


5、6回掛け直すも、全く出る気配がありません。


また、いつもの通り、長トイレに行っているんだろう。とも、思いましたが、何か嫌な予感がしたのです。

そして、家とは全く逆方向の実家に足を運んでみると・・・


台所で、目の周りに青あざつくって、倒れていたのです。

意識はあって、私を呼ぶのですが、右肩を強く打ちつけ、自力で起き上れ無くなっていたのです。


あの寒い雨の夜、「たぶん、元気だろう!」と実家に行かなかったら、どんなことになっていたか・・・


今思ってもゾッとします。



そして、やはり、あの時、あの電車の中で自分が何とかしなくては!

と覚悟した自分がいたから、実家に行くことにしたんだと今でも確信しています。




誰しも、経験できることではない、親の介護。



私は、その当時、本当に大変で辛かったけれど、無事に見送ることが出来たこと、そして、あの電車の中で味わったような、心と心のやり取りを母親と出来たことは、本当に幸せなことだったと今は思っています。


そして、あのガンコで一本気な母親が、衰えていく日々の中で、日に日に穏やかな仏の顔になっていき、うしろ髪ひく思いで、実家を後にする私にさえ、すべてを受け入れて、「ありがとう!」といってハグしあった日々は、甘美な体験であったとさえ思えてなりません。


働く世代として気持ち的にも、時間と労力的にも、なかなか、受け入れることが出来ない親の介護。

でも、きっと、その時が来たら、あなたにも、素直に受け入れる瞬間が訪れると思います。


そのメッセージ、キャッチしたら、しっかりと受け止めてね!


これも、いつかは・・・と、書きとめておきたかった大切な体験です。


少しでも参考になれば、うれしいです。

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